蔵沢寺
蔵沢寺
蔵沢寺
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蔵沢寺
蔵沢寺は応永年間(1394)、倉沢但馬守重清(高見城主)公により開創し、香華院と称しました。それから百年を経て延徳元年(1489)蔵澤寺と改称しました。更に弘治2年(1556)倉沢石見守義忠公は、讒言(ざんげん=他人を陥れようとして、事実をまげ、いつわって悪しざまに告げ口をすること)によって武田信玄により高遠城において自刀させられ、その高子遺骸を奉ず来て、現在の大桧のもと開基塚に葬りました。さらに工を起こし伽藍(がらん)を現在の規模に整えました。その後、武田氏のため、倉沢氏はこの地を退去させられ、寺門衰廃してしまいましたが、その後50年の空白をおき、慶長4年(1599)愛知県北設楽郡津具村金竜寺の5世来円宗擦大和尚が訪れ、寺門を復興し中興開山となり、現在に至ります。
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