了仙寺
御朱印
了仙寺は寛永12年(1635年)、第2代下田奉行・今村伝四郎正長によって創建されました。大阪夏の陣の時、目に病を持たれた徳川家康公は、家臣の勧めにより、当時目の神様として崇められていた身延山久遠寺第十一世の行学院日朝上人に病気平癒の願をかけられました。その祈願が成就したため、徳川政権安定の時に寺を建立することを約束されました。今村正長公によって創建された了仙寺には、当時の幕府の将軍・徳川家光より朱印状によって領地が与えられ、家康公の祈願成就に奉じました。従って、了仙寺の寺紋は徳川家の紋である三つ葉葵です。1854年、日米和親条約が締結され、ペリー艦隊が開港された下田に入港すると、了仙寺はペリー一行の応接所兼幕府との交渉場所となり、和親条約の細かい取り決めである下田条約がここで結ばれました。