開業半年後に築かれた鳥居
土地銀行台南支店(旧日本勧業銀行台南支店)
空爆の跡
空爆の跡
林百貨は、1932年、山口県出身の実業家である林方一氏が創立します。林氏は明治45年(1912年)4月に台湾に渡り、持ち前の経営力と鋭い洞察力を活かし、呉服店「日吉屋」の店主、馬場徳次郎の協力を得て、小さい商店を開業することになります。そして、昭和7年(1932年)12月15日、ハヤシ百貨店は、通称「銀座通り」と呼ばれていた台南一の目抜き通りであった末広通りに南台湾初の百貨店としてオープンし、「七重天」と呼ばれていた台北市栄町の菊元百貨店と並び、南北二大百貨ビルとして注目を集めました。しかし林氏は百貨店オープン直前に病で倒れ、自らハヤシ百貨店のオープンを見ることなく、1932年12月10日に台北で亡くなりました。太平洋戦争中、ハヤシ百貨店は市の中心地であったため米軍の空爆を受けました。今でもその空爆跡が残る外壁を見ることができます。そして敗戦によりハヤシ百貨店は廃業。終戦後は国民党政府の台湾製塩総工場や塩務警察総隊の事務所として使用され、屋上は防空軍備用に使われていましたが、その後事務所の移転により1980年代以降は空きビルとなっていました。それから時を経ること1998年の6月26日、ハヤシ百貨店は市定古跡に認定され、2010年1月より台南市と文化部が8000万台湾元(約2億7000万円)かけて修復作業を行うこととなりました。この修復作業に関しては、米軍によって爆撃された跡や当時のままの床材の一部などを残しつつ創業当時の姿を再現、そしてついに2013年1月に完成しました。