川越城
川越城は、扇谷上杉持朝(もちとも)が古河公方足利成氏(しげうじ)に対抗するため、1457(長禄元年)に家臣の太田道真(資清)・道灌(資長)父子に命じて築城したもの。当初は、本丸、二の丸、三の丸、八幡曲輪程度と思われ、石垣は用いず曲輪の周囲に堀を掘り土塁を築いて櫓を建てたもの。1939年(寛永16年)「知恵伊豆」こと松平信綱が本丸、二の丸、三の丸等の各曲輪、四つの櫓、十二の門等大幅な拡張整備を行い近世城郭として体裁を整えた。江戸の「大手」は小田原城、「搦め手」は川越城といわれるほど江戸にとっては重要な城。明治になり川越城は次第に解体され、堀の遺構も埋め立てられ、城の遺構もほとんど残っていない。現存する本丸御殿は往時の六分の1であるが貴重な建築遺構。
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