松本城
国宝です。
立派なイチョウ
残雪の常念岳と松本城(5月)
松本城(11月)
常念岳(5月)
常念岳(5月)
常念岳(11月)
松本城
松本城
松本城
逆さ松本城
松本城
松本城
松本城
松本城
松本城
太鼓門
松本城
松本城
松本城
藤棚
夕暮れの松本城
夕暮れの松本城
夕暮れの松本城
松本城は、長野県松本市内にある平城。戦国時代の永正年間に造られた深志城が始まりで、現存する五重六階の天守の中で日本最古の国宝の城です。天守の建物を残している城は全国で12城あるが、五重の天守で現存しているのは、姫路城とここ松本城のみである。信濃守護の小笠原氏が平地の井川から山麓の林城に移った時に、家臣たちがそれを囲んで守るために支城を構えたが、この頃に深志城も造られたとされる。その後、武田信玄が信濃に進出し林城を攻撃。小笠原長時が敗走すると、深志城は武田氏の信濃支配の拠点となる。しかし、天正10年(1582)3月に武田氏が滅亡、その後に信濃を支配した織田信長が10月に本能寺の変で討たれ、信濃の情勢が混乱(天正壬午の乱)。小笠原長時の嫡子である貞慶はこれに乗じ、旧臣などの支援で深志城を奪還する。この頃に、深志城の名を「松本城」と変えた。天正18年(1590)の小田原合戦を経て豊臣秀吉が天下を統一すると、石川数正が松本城主に任命される。城郭や城下町の整備は小笠原氏が始めていたが、数正もこれを続けた。子の康長の代には、天守3棟、御殿、太鼓門、黒門、櫓、塀なども築造。以後の松本城は、徳川家と深いつながりを持つ譜代大名が城主となり、明治維新まで存続した。
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