清澄庭園の梅
清澄庭園は江戸時代の大名庭園で用いられた、池の周囲に築山や名石を配置した回遊式林泉庭園です。荒廃していた邸地を三菱財閥創業者の岩崎弥太郎が買い取り社員の慰安や貴賓を招待する場所として庭園造成を計画、明治13年に「深川親睦園」として竣工しました。弥太郎の亡きあとも造園工事は進められ、隅田川の水を引いた大泉水を造り、周囲には全国から取り寄せた名石を配して、明治の庭園を 代表する「回遊式林泉庭園」が完成しました。関東大震災で庭園は大きな被害を受けて邸宅も焼失しましたが、3代目社長の岩崎久弥は当時の東京市に庭園の東半分を公園用地として寄贈。市は大正記念館の移築(1929年5月竣工)や深川図書館の新館舎建設(同年6月竣工)など整備を進め、1932年(昭和7年)7月24日に清澄庭園として開園しました。